2012-02-16

オルタード・カルボナーラ

帰省やらハワイやら
何かと家を空けることが多かった1月。
こまめに手間のかかるパンチェッタの仕込みを
しばらく休んでおりました。
しかし、わたしもパートナーもカルボナーラLOVE。
卵とチーズの濃厚なコラボレーションの誘惑!
パンチェッタじゃなくてもカルボナーラは食べたい!
てなわけで、“変形カルボナーラ”、作ってみました。
今時パンチェッタくらい近所のスーパーでも売ってるけど
それじゃあブログのネタにもならないしね。
まずは「親子カルボ」。























パンチェッタの代わりに鶏肉。
わたしはたまたま家にあった胸肉を使いましたがお好みで。
胸じゃやっぱりパンチがないので
アクセントにインゲン、そしてタイムを投入。
食感と香りに変化をつけてみました。
ちなみにパスタは手打ちのカヴァテッリ。
続いては「スモーク・サーモンのカルボちゃん」。























なんだカルボ“ちゃん”って。いいおっさんが恥ずかしいぞ。
じつはこれ、隠し味に味噌を入れてるんですね。
“ちゃんちゃん焼き”からの発想というわけ(ダジャレかよ)。
そしてもう一つは昔懐かしい卵味噌。
つまり、シャケと味噌は合う。味噌と卵も合う。
これはイケるに違いない!!!!(う〜ん天才)
……ただ注意しなきゃいけないのが
スモーク・サーモンの塩分。
味噌は甘めのものを少量で。
もうちょっと味噌の風味を立たせたいけど
生鮭は加熱が必須だし。
う〜ん、まだまだ試行の余地アリ。
イケると思ったんだがなあ……(前言撤回)
それにしても
コレステロールなどなんのその。
卵を消費しまくるわが家。
……あ!
今月人間ドック予約してたの忘れてたよ。
カルボでメタボとかダジャレにもならん。
この体もオルタード・カーボンしたいわ。

2012-02-15

オルタード・カーボン

      
今読んでる本、「オルタード・カーボン」がなかなか読ませます。
















                              
27世紀の未来、人間の精神はデータ化され、
肉体を取り替える=オルタード・カーボン(“変身コピー”と訳されています)
となることで不死が可能になった世界。
      
そんな時代、ある事件の捜査を依頼された主人公が、
他人の体をあてがわれ見知らぬ土地(=地球)で陰謀に巻き込まれる……
というストーリー。
      
フィリップ・K・ディック記念賞を受賞したということだけど、
ディック的というよりは、もろに「ブレードランナー」の世界です。
      
退廃的な空気が支配する街の中、暗殺者に狙われながらも
拳銃(!)片手に事件を追う主人公。
飛び回るエアカー、ちょいちょい飛び出す日本趣味。
      
SF的設定・ガジェットはこれでもかと投入され、
むしろ「ブレードランナー」を凌駕する濃密さ。
あの世界観がさらにアップ・グレードされて脳裏に展開されます。
「ブレラン」好きは必読でしょう。
      
ただ、レプリカントをフォークト・カンプフ・テストで追い詰める
バウンティー・ハンターのごとく、
何にでも重箱の隅をつつかずにいられないのは
われらSF小舅の悲しいサガ。
      
読み始めてすぐひっかかってしまったのが、
せっかくの設定なのにそこから演繹されるべき認識論的側面には
ほとんど踏み込んでいないところです。
      
例えば、登場人物のメンタリティが27世紀にしてはかなり現代的。
みんな、人の“外観”に惑わされすぎじゃない?
肉体を取り替えることがあたりまえになった世界に住んでるわりには
あまりにもナイーブ。
      
それにもっと根本的な問題。
この世界、富豪たちは肉体のスペアをいくつも持っていて
不慮の事故(殺人含む)で死んでも、自動バックアップされた
精神データをダウン・ロードして何度でも生き返る。
でもそれって“不死”とは言わないよね。
      
バックアップは何から何まで自分そっくりではあるけど
それは「わたし」じゃない。
自分が生きてる間にバックアップを起動させてみればばわかりやすい。
わたしはわたし、バックアップくんはバックアップくんだ。
バックアップくんも間違いなく「わたし」だと思っているだろうが。
      
このへんのところは、それはそれでおもしろい話ではありまして、
いろいろ考え始めちゃうと「わたし」という概念自体揺らぎだす。
じつは結論も一概に言えなかったりするんですが、
まあ普通、特に説明のない場合
「わたし」と「バックアップ」を分けて考えるのが
最近のSFでは常識だと思うんだけど
(この考えに沿った場面もあるにはあるけど
むしろよけい不死との矛盾が気になる)。
      
「でもそこ突っ込んじゃうと根底から吹き飛んじゃうよなあ……」
などと考えながらも読み進んでいくわけですが、それでも
いつの間にか話に引き込まれている自分に気づきます。

なんたってこの小説、なかなか凝ったプロットを
このガジェット満載の世界の中で読ませるにしては
かなりリーダビリティが高い。

著者はあえてそれらのめんどくさい議論を回避したんでしょうね。
まともに扱っても今や希少種のSF読みしかよろこばないし。
      
その手のSF的思索をオミットしたことによって得られる
ドライブ感、ノリの良さ。
主人公による一人称の語り口も観念的とはほど遠く
即物的で無頼。
      
つまりこの著者が目指したのは、ハードはハードでも
ハードSFじゃなくてハードボイルドなのでありました。
(「ブレードランナー」の脚本家も“未来のフィリップ・マーロウ”を
イメージしたといいます)。
      
確かにハードボイルドの主人公ともなれば
美女を目の前にしたらBED IN!がお約束。
美女の肉体にピクリともしないカケ離れたメンタリティの持ち主じゃ
こっちも感情移入できないからね!
      
ちょっと“ご都合”なところはありますが
SF的設定のストーリーへの絡め方もツボを得てるし、
アクションも満載。
「ブレードランナー」の世界、ジャンクなガジェット、
ハードボイルドな主人公、サスペンス。
エンターテインメントとしてこれはこれで十分アリ。おもしろいです。
      
発表当時、いち早く映画化権が売れたのも納得。
      
まあハリウッドとしても、ある意味
「ブレードランナー」以上に「ブレードランナー」らしい世界観が
イメージしやすかったんだろうね。
      
でもそれが“21世紀の「ブレードランナー」”となり得るかは
また別の話。
      
言わずもがなだけど
「ブレードランナー」には重要なテーマがあった。
それこそまさに、この小説が議論を避けた
「わたしとは何か?」という問題。
      
「ブレードランナー」が提示したのは
この小説を含む数多くのフォロワーを産んだ
あの世界観だけじゃなかった。
      
はたして「オルタード・カーボン」の映画化は?
      
小説の映画化の世界観を小説にした映画化。
      
レプリカントのレプリカントのレプリカントはやっぱり偽物?
この構図、ちょっとディック的。
      
「ブレードランナー」のオルタード・カーボン。
      
ただの“劣化コピー”にならなきゃいいけどね。
      
      
      
      

2012-02-08

Across The Border

      
旅。
      
がんじがらめの日常から逃れ
境界を越えて
殻の外から自分を見つめ直す。
      
Travels With Myself
      
あてどなき彷徨。
人生のExile。
      
そして帰還。
      
不肖ながら、帰って参りました。
      
ハワイから。
      
いや〜、ハワイいいっすね〜。
輝く太陽。心地よい風。
日本の記録的寒波なんて忘れてましたわ。
      
仕事から少し離れるいい機会。
これからの人生じっくり考えてみようと
旅立つ前は思っていたんですよ。ホントに。
あるいはとっくに冗談じゃなくなってる
老後の心配とか。
      
しかしねー。行き先がハワイってのがどうも。
      
彼の地に足を一歩踏み入れた瞬間、日本で悶々としていたことなんて
見事にどーでもよくなっちゃうんですねこれが。
南国の魔力。なんくるないさ〜!マイ・ペンライ!ケ・セラ・セラ!
(ハワイの言葉じゃないけど、いいじゃない!)
      
そもそもたかが5泊程度の滞在じゃ
じっと考え事してるヒマなんかあるはずもないし。
      
パートナーと二人、シー・カヤック乗って、買い物して、
散歩して、ジャンク食べまくって、
あと、友人の結婚式に出席して。
      
That’s All
      
あっという間に旅の時間は過ぎ去り、
結局また
何もなかったかのように日常に舞い戻る。
      
楽しかったから、ま、いいか!
(なんだか南国の魔力とは関係ないような気がしてきた)
      
そういえば。
      
前回ハワイに行ったときは
お気に入りCDをトランクに詰め込み
一部の友人から(そこまでするか!と)不評を買いましたが、
今回はなんと、文明の利器を活用しましたぞ!






















                        
この旅行のためにiPodオーディオを買ってしまいました
荷物になってることに変わりないけど。
      
ちなみに上に乗っかっているiPod mini(わが家では最先端)は
パートナーの所有。
彼女の好きなハワイアンしか入っていないiPodに、わたしのCDを
(頼み込んで)いくつか取り込んでもらったのであります。
      
ハワイではもちろん大活躍。
部屋ではずーと音楽ならしてた。
      
音質的なことを言っちゃえば、ご多分に漏れず
中域は薄いし、ブーストされた低音が耳に障るし、音場は狭い。
しかし(試聴した)S○NYとかのおもちゃっぽいのに比べたら断然よろし。
なんたって旅行目的、コンパクト重視ゆえ選択肢も限られる。
そんな中ではデザインが断トツに良いので
総合的にはいい買い物したと思ってます。
余談だけど、なんで日本のメーカーはこーゆーデザインできないかなあ。
ありえないでしょ。S○NYとかのおもちゃっぽいのとか(しつこい)。
      
それは良いとして。
      
実は今回、ハワイで聴いてみたい曲がありました。
あの名曲「Diamond Head」。
      
そう、エレキがテケテケと心地よい夏の風物詩…
って、ベンチャーズじゃなくって。
      
プログ好きならおなじみ、あのトンボのメガネで有名な
フィル・マンザネラ ソロ・アルバムの中の一曲。

















                              
それにしても「Diamond Head」、
アルバム・タイトルでもあるのに
ジャケットがぜんぜんハワイっぽくないのは何故だろう。
アメリカ中西部を走ってるユニオン・パシフィック・鉄道の
昔の機関車らしいのですが。
そりゃ大きなくくりではアメリカには違いないけど、
このざっくり感は彼に流れるラテンの血がなせるワザ?
      
それは言い過ぎとしても、確かに最近では
ラテン・ルーツを意識した音楽性を追求しながら
精力的に活動するマンザネラ。
ビバ!ケ・セラ・セラ・スピリット。
このソロ1作目でもそこはかとなくおおらかな空気を感じます。
そんな感覚がハワイのゆったりした時間の流れにじつに合う。
いつのまにかジャケットのミスマッチなんかマイ・ペンライ。
エコノミー・ホテルの窓からは何も見えなくても、
心はダイヤモンド・ヘッド・ビュー。
そしてラテン・ルーツに敬意を表して飲むコロナ。
う〜ん。たまらん。
      
とはいえ、プログレばかり流していては
パートナーに叱られます。
ハワイまで来てケンカになってもつまりません。
      
ここはひとつ、家ではできない必殺ワザを!
      
シャッフル機能〜〜〜!
      
は?そんなにもったいつけるほどのものじゃない?
否。このワザこそわたしにとっては超えてはならない一線。
アルバム1枚で一つの完成された作品とする
われわれプログレッシャーにとっては
この世に存在することすらアンビリーバブルな機能です。
アルバム1曲目を聴きだしたら
そのまま最後まで聴き通さなければならない鉄の掟。
順番を入れ替え、あまつさえ他のミュージシャンの曲と混ぜるなど
考えるだに恐ろしい。
ああ、プログレの神様、お許しください。
とうとう禁断の果実に手を触れてしまいました。
      
でもまあ、ここはハワイだし〜。
マイ・ペンライ、マイ・ペンライ、と……
      
な、なんだこれは。
ギャビー・パヒヌイの後にハット・フィールド・アンド・ザ・ノース。
エイミー・ハナイアリイの後にナショナル・ヘルス。
ナレオの後にジェネシス。
      
ハワイの空気もどこかへ吹き飛ぶシュールっぷり。
プログレオンリーより破壊力あるじゃん!
シャッフルスゴイわ。ipod、侮りがたし。
      
人生観は変わらずとも、音楽観は変わったかも。
      
      
      
      

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