2010-06-29

ジャッコでメシウマ〜。─「The Bruised Romantic Glee Club」Jakko M. Jakszyk

       
       
…といってもちりめんジャコではありません。
カンタベリー系をお聴きになるかたならもちろんご存知、
ジャッコ・ジャクジクであります。
       
この舌を噛みそうな名前は養父がポーランド系ゆえなのだとか。
ポーランド風に発音すると“ヤッコ”となるそうですが
彼自身は英国人なので英語的に“ジャッコ”と名乗っているようです。
       
日本語的にはどちらにしてもうまそうな名前。
(冷や)ヤッコに(ちりめん)ジャッコ…
       
そういえば… あのベースの神様もちょっと付け加えたら
“ジャコ(の)パス(タ)”。
あ〜、ハラ減ってきた…
       
くだらないダジャレはさておいて、そのジャッコ・ジャクジク。
先にも書いたとおり、80年代後半以降のカンタベリーを追いかけてると
ちょいちょい遭遇するミュージシャンです。
ざっとふり返ると、スチュワート&ガスキンや
ピーター・ブレグヴァドの諸作に参加、
そのブレグヴァドやジョン・グリーヴスらと
ザ・ロッジというバンドを結成したこともありました。
90年代のそれらの活発な活動や自身のソロ・アルバムもありましたが、
その頃はデイヴ・スチュワートやブレグヴァドのよき相棒、
どちらかといえば脇役的な印象でしかとらえていませんでした。
       
しかしその印象が覆る時が来ます。
2002年に21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドの
Vo.兼G.として来日したのです。
今までカンタベリーの人だとばかり思っていたのにこの人脈はいったい?
あとで知るのですがなんとジャッコはマイケル・ジャイルスの娘婿。
こういう繋がり方もあるのかと驚いたのを憶えています。
(マイケル・ジャイルスのまったく衰えていないドラムは
じつはもっと驚愕でしたが)。
       
そして昨年から今年にかけて、さらに衝撃的な噂が飛び交っています。
なんと、もう何期目になるか数えるのもうざったい
あのキング・クリムゾンの次期フロントマンを彼が務めるのだとか…!
御大ロバート・フリップとはいつの間にこんなに仲良くなっていたのでしょう?
       
同じく次期クリムゾンに参加するドラマーのギャビン・ハリソンは
以前からジャッコとともに活動すると同時に、
御大が目をかけるスティーヴン・ウィルソン主催の
ポーキュパイン・トゥリー現メンバー。
そして過去のCDをひっくり返してみると、
1994年に出したジャッコのソロアルバムにおいて、ハリソンのほかに
リチャード・バルビエリやスティーブ・ジャンセン、ミック・カーンといった
元ジャパンのメンバーと共演しています。
買った当時は「けっこう人脈広いんだ」ぐらいにしか思いませんでしたが、
リチャード・バルビエリはすでにポーキュパイン・トゥリーのメンバー、
肝心の御大はといえば、その同じ頃、やはり元ジャパンの
デヴィッド・シルヴィアンとコラボ活動真っ最中でした。
       
なんだか相当絡み合ってますね。
もしかしたら90年代前半ごろからすでにコンタクトがあったのかもしれません。
このあたりだれかきちんと取材してくれるとおもしろいと思うんですけど。
(ちなみに、こうやって人脈追っかけるのも
プログレの大きな楽しみのひとつなんですよね)。
       
…とまあ、そんなこと考えてるさなか発売されたのが
ジャッコの何枚目かのソロアルバム、
「ロマンティック・グリー・クラブ」。
といっても日本版がこの4月に出たのであって、
英米では2006年発表だからKC参加の噂とは時系列的に逆ですけどね。
ただ、その噂を踏まえて聴くと
なお一層興味深い内容となっていることは確か。
カンタベリー好きKC好きは必聴です
(残念ながら今回ジャパンの人は参加なし)。













                          
2枚組のこのアルバム、
DISK1は自身のオリジナル曲集、
DISK2はカバー曲集という構成。
       
まず、参加ミュージシャンがえらいことになってます。
クリムゾン関係者として、フリップ御大をはじめメル・コリンズ、
イアン・マクドナルド、イアン・ウォーレス。
カンタベリー組はヒュー・ホッパー、デイヴ・スチュワート、
クライブ・ブルックス(音楽続けてたんだ!)。
その他、盟友ギャビン・ハリソン、ダニー・トンプソンや、
個人的にツボのジョン・ギブリン。などなど…
2006年作なのですでに鬼籍に入っている人も(合掌)。
ウォーレスは2007年初頭に亡くなっているから
ほとんど最後に近い録音なのでは?
(レコーディングの日付がないので何ともいえませんが…)
       
そしてさらに、DISK2の選曲が楽しすぎる!
       
まず初っ端はソフトマシーンのセカンドからの曲。
ここではなんと今は亡きホッパー自身がベースを再演しています。
思いもかけないカタチで聴くファズ・ベースに涙。
そしてラトリッジっぽいファズ・オルガンの音色もみごとに再現され、
加えて、ここ20年来スチュワート&ガスキンでも絶対聴けなかった
デイヴ・スチュワート独特のオルガンのトーンが響き渡ります。
いや〜、カンタ好きとしてはこれだけでも買った甲斐があるってもんです。
(でもスチュワートのこのトーン… 頑なに昔の音を出さない人なんで
もしかして録音自体は古いのでしょうか???)
       
続いて「冷たい街の情景」。
全盛期のレイクに真っ向から対抗するのを避けたのか(笑)
インド風アレンジの変化球で来ました。
まあ、あの頃のレイクはよすぎますからね…
       
「ねずみの涅槃」。
ヘンリー・カウのカバーってのを初めて聴きましたよ。
なんとも恐れを知らぬというか。
ほかにもう1曲、「市民の王の九つの葬式」もカバー。
ともにカウ史上最もPOPな曲ではありますが(笑)。
「ねずみの涅槃」の中間、インプロ部はサックスの代わりに
ジャッコがギターを弾きますが、オリジナルよりヘンなリズムです!
       
「アイランズ」
やはりKCの次期フロントマンが歌うアイランズ、
とても気になるところです…。
でもこれ、わたしは気に入りました。
ボズ・バレルの頼りなげなボーカルや
即興を織り交ぜ危うさを孕んだキース・ティペットのピアノ、
マーク・チャリグのコルネットが
何とも云えない寂寥感を醸し出していたオリジナルに対して、
このカバーはしっかり構築された
完成度の高いプロダクションになっています。
メル・コリンズのフルート、サックスは流麗に流れ、
ピアノは(“即興”に対して)“アレンジの鬼”デイヴ・スチュワート。
ジャッコのボーカルもしっとりと静かに、しかも堂々と歌い上げます。
もちろん、どちらがいいかは好き嫌いのあるところでしょうが
カバーとして1曲だけを取り出して聴かせる場合は
こちらほうが素直に感情移入できるのではないでしょうか。
情感あふれるジャッコの歌声に、次期KCへの期待も膨らみます。
       
…なんだかカバーの紹介ばかりになってしまいました。
もちろん、DISK1のオリジナルもすばらしいことは強調しておきます。
歌ものあり、インストありのバラエティに富んだ内容。
でも基本的にこの人は生粋のPOPの人ですね。
ブレグヴァドほど諧謔的、グリーヴスほどアヴァンギャルド
ではありませんが、少しひねりがありつつ独特の哀感を漂わせる
味わいのあるPOPS、そんな曲が並んでいます。
       
そういえばエイドリアン・ブリューもソロはめちゃくちゃPOPでしたね。
“POP感覚を持つマルチプレイヤー”というのは
ロバート・フリップの好みなのでしょうか?
       
思うにブリューもジャッコもボーカルやギターとして以上に
右腕となるメロディーメーカーとしての採用なのでしょう。
ただ、そんな両者にも相違点はあります。
ブリューのキレた躁気質とジャッコの憂いを帯びた情感。
次期キング・クリムゾンのコンセプトは
このあたりが鍵になるような気がしていますが… はたして。
(KCにはじつはもう一つ、“飛び道具”という鍵が
あると思うんですが、それはまた別の話)
       
いずれにせよ、今までサラダなんかにちょろっとのっかって
渋くうまみを演出していたジャッコですが、
これからは主食の上にどどーんとてんこ盛りで
その味わいを堂々と主張してくれることでしょう。
       
       
       
       

2010-06-25

食材しりとり。

      
      
最近は仕事でバタバタしていてなかなか平日に料理ができません。
週末に食材買い込んで余らせても
この季節、あまり長くとっておけないのが目下の悩み。
食材をいかに効率よく消費するか。
この命題で頭がいっぱいの今日この頃です。
     
さて。
梅雨空もどこへやら、真夏の暑さだったある土曜日。
じとじと雨に降られるよりずっといいけど
それにしても暑すぎる…
こんな日はトマトと卵の冷麺でさっぱりといきましょう。
      
これ、四川料理のシェフ、孫成順さんが
以前NHKでレシピを披露していた料理。
子供の時、夏の暑い日になるとお母上がよく作ってくれたのだとか。
具材はホントにトマトと卵だけ。
肉・魚一切なしで経済的。
孫さん…ご苦労されたんでしょうか…。
今じゃあんなに立派になられましたよ、お母さん。
     
確かにとてもシンプルな料理ですが、これが侮れないうまさ。
このために薬味の香菜も用意して準備万端。
いざ。
      
↓ちなみにスープは豚肉と冬瓜のスープ。
 冬瓜もれっきとした夏野菜なんですってね。













                         
いやあ。われながらうまかった。
孫さんのお母さんありがとう。
      
しかしこのために香菜一束買っちゃったけど
いくらパートナーが大好きとはいえ
当然1回で使い切れるもんじゃないですね。
かなりあまってしまったぞ。
これは香菜大量消費メニューを考えねば。
      
というわけで翌日はヤムウンセン大盛り!
まだおかわりもあるからたんと食ってくれ。
この写真では撮影用にやや控えてますが
このあと香菜特盛りでいただきました。
      
自分で作ってみるとわかるけど
ヤムウンセンって、和えてあるタレの中に
香菜の根をすり下ろしたものが入っているんですよね。
しかもこいつは葉よりも香りが強いときてる。
タイ料理屋でヤムウンセンに乗ってる葉っぱを
ていねいに除けて食べてるパクチー嫌いの人!(じつは過去のわたし)
はっきりいってムダな抵抗です。
      
以来わたしも神経質になるのをやめました
(まあ、この日の特盛りのほとんどはパートナーが食べていましたが)。












                                          
パスタはナスと挽肉の豆板醤風味。
ニンニクの香りを移したオリーブオイルで挽肉、
次いで長ネギ、豆板醤少々を炒め、ゆで汁で乳化。
パスタを絡めて揚げ焼きしたナスをトッピング、
ネギみじんといりゴマをパラッとかけてできあがり。
      
常々思うんですが、基本的に中華とイタリアンって似てるよね。
いかにしてオイルに香りを付けるか、というベースの方法論が一緒。
あとは極端な話、ごま油をオリーブオイルに、生姜をニンニクに変えたら
簡単に中華がイタリアンになるし、その逆もしかりです。
上述のトマトと卵の冷麺も見た目からしてイタリアンっぽいしね。
     
そのせいか、わたしのなかでは
中華作ったりイタリアン作ったりっていうのが
違和感なく共存してる感じ。
たとえば、たまに和食を作ろうなんて思うと
けっこう頭を切り替えないといけないんですが、それが必要ないというか。
和食が苦手なのはこのあたりも関係してるかもしれません。
      
閑話休題。
さてさて、その日の晩メシ。
香菜はヤムウンセン第2ラウンドでほぼ食べ尽くせそうだ。
彼女がまた小田原へ行っているので、メインには干物を買ってきてもらおう。
副菜は、、、お。ナスが1本。
ナスでもキュウリでもどうして安売りは3本単位なんですかね。
たいてい1本余るんだけど。
それじゃあ、こいつは揚げ浸しにでも。
合わせるのはシシトウといきたかったんですが
ヤムウンセンで使い切れなかった青唐辛子を揚げてしまえ。
よしよし、けっこういろいろ使い切ったぞ。
なんだかへんに充実感あるなあ。













                          
余った食材を次々に活用していく。これぞまさに食材しりとり。
まあ、世の奥様方にとってはごくごく普通のことなんでしょうけど。
      
でもこういうちょっとしたことが面白かったりしませんか?
これって初心者特有の多幸感ですかね?
      
まさか密かに主夫化が進行している、なんてこたあないよなぁ…
      
      
      
      

2010-06-08

わたしの人生のSFがらみ。

      
      
どうも最近、読みたいと思えるSFが見つからないわ。
というわたしのつぶやきに、すかさず隣にいたパートナーが
みんな亡くなってるからじゃない、ですと。
      
たしかになあ。プログレ界以上に高齢化が進むSF界。
ここ数年SFマガジンなんて2回に1回は追悼特集やってんじゃないか
ってくらいの印象だし(あくまでも印象ね)。
      
たとえ存命でも、むかし夢中で読んだ作家たちは
今じゃ一線を退いた雰囲気?
わたしが把握してないだけかもしれませんが。
      
いよいよ遅ればせながら、ここ数年流行ってる
“ニュー・スペースオペラ”でも読んでみましょうか?
でもあれ、どれもこれもなんであんなに長いんでしょうね〜。
レナルズなんかは1000ページ以上ですか?
歳とともにめっきり読書量(時間)が落ちてるこっちの問題でもあるんですが
手に取る気が一気に萎える物量。
キリッと引き締まって切れ味鋭いアイデア・ストーリー、
そんなSFが読みたいものです。
      
てなわけで、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」を(何度目かの)再読。
いやあ、これはほんとにすばらしいなあ。













                         
この人、本職はテクニカル・ライターのパートタイム作家。
そのせいもあって非常に寡作。
1990年のデビュー以来、現在まで10余の短編しか発表していません
(長編は0!)。
にもかかわらずその評価はとても高く、グレッグ・イーガンと並んで
“現代最高のSF作家”と称されるほど。
最高の作家がパートタイマーってのもどうなのよって感じですが、
読めば納得。
「あなたの人生の物語」は、そんな彼の作品が日本語で読める現在唯一の本
(SFマガジンのバックナンバーは除く)にして
SFがたどりついた一つの到達点。珠玉の短編集であります。
      
まず巻頭を飾るのは「バビロンの塔」。
われわれの知る科学法則とはまったく異なる、
神話的・宗教的法則によって支配された異世界の物語。
それでもありがちなファンタジーに陥らないのは、従う法則は違っても
あくまで論理的思考にのっとって物語が進行していくから。
宗教の怖いところは信仰心と引き替えに多くの人が思考停止してしまうところ。
神がいようがいまいが実は関係ないのです。信仰心もけっこう。
人間、肝心なのは思考することをやめないその姿勢だということを教えてくれます。
      
「理解」。
ある化学療法によって知能をどんどん増強させる男のはなしを
一人称・現在形で綴っていきます。
つまり「アルジャーノン進化型」という趣向。
当然といわれればそのとおりなのですが、脳の極端な発達に伴って
身体能力はおろか感情までもが進化・変容していく様は
うすら恐ろしさを覚えずにはいられません。
しかし変化はとどまるところを知らず…。
究極にまで知能を高めた人間の末路は?
      
などなど、どの短編もすべてワクワクするような傑作揃い。
それでもやはり表題作「あなたの人生の物語」の味わいは別格でしょう。
      
よく、「SFは“人間”が描けていない」という批判をよく聞きます。
これに対して「SFは“人類”を描く」というSF側からの反論も存在したり
(まあ、噛み合ってないけど)。
それだけSFとそれ以外の文学とは相容れないものとして語られてきた感があります。
いわゆるジャンル論争は絶えないですしね。
           
しかし、この「あなたの人生の物語」こそ
そんな文学的相克を埋める作品のひとつではないかと、
わたしなんかは思うのであります。
SF的アイデアと文学的叙情が分かちがたく結びつき
他では決して味わうことのできない不思議な、でも静かな感動を呼ぶ…
しかもそれが鮮やかに短編で活写された驚き。
…これ以上は語りますまい。
あとはもう、実際に読んでいただくしかありません。
      
とまあ、長々と語ってきましたが
こんなことはすべて、世のSF読みにとっては「なにを今さら」ってはなし。
この文はSFをあまり読まない人に向けて書いたつもり。
スター・ウォーズみたいなのばかりがSFじゃありませんよ。
あるいはクラークやディックばかりでも。

巨匠も確かにいいんですが、
SFに限っていえば「過去の名作より今の凡作」。
“未来の文学”を標榜する以上、“未来”に一番近い場所は“今”ですから。
(余談になるけど、分水嶺はソ連邦崩壊あたりでしょうかね。
メタファーの対象の転換とコンピューターの一般への浸透がでかい)
       
もちろん、それが「今の傑作」ならいうことなしってわけで。
         
う〜ん、“1000ページ”はどっちなんだ?
あのボリュームで凡作はさすがにしんどいぞ〜。
        
          
           
            

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