2010-03-01

トマトに愛を。──「Tormato」Yes──

        
        
今日は魚介が食べたい気分。
ということでブイヤベースに挑戦!
でも野菜もたっぷりの具だくさんにして、
あつあつで食べたいから土鍋にして、
最後はご飯入れて雑炊にしてしまおう…
ってこれはもはやブイヤベースじゃないな。
というか…もしかしてこれがうわさのトマト鍋?
う〜ん、この発見がもっと早ければ!
                      
    












                        
写真右スミにあるのはルイユ。
ブイヤベースには欠かせない薬味(だから鍋じゃないっつーの)だそうです。
マヨネーズを作るのと同じ要領で
ビネガーの代わりにニンニクをすりおろして入れ、
カイエンヌ・ペッパーをちょっこっと効かせてやります。
これを魚介に付けてもよし、スープに溶かしてもよし。
コクが出ます。
            
というわけで、おいしくできた「トマト鍋」を食べながら
「トーマト」について考えてみました(とムリヤリ展開してみる)。
              
 












                    
「トーマト」。1978年発表のイエス11枚目のアルバムです。
一般的には、迷走期の中途半端な作品として
数あるイエスのアルバムのなかでも
ダメダメな評価を受けている一枚じゃないでしょうか。
              
でもじつはかなり好き。
わたしのなかでは、名盤の誉れ高い「こわれもの」を余裕で超えてます。
プログレ好きでこんな奴はほとんどいないとは思いますが。
たしかにしょーもないアルバムであることは認めます(笑)。
しかしなぜかキライになれない。
なんだかイエスメンバーの人柄のよさが
にじみ出ちゃってるように思えるんですよね。
              
78年といえば…巷を席巻していたのは
ストレートに若者の怒りを吐き出したパンク、
あるいはディスコ・ミュージックのような踊れる音楽。
抽象的で重く複雑なプログレッシブ・ロックには厳しい時代でした。
なかにはポップ化を図り延命を試みるバンドも現れます。
でも、例えばジェネシスによる同じ78年の「そして3人が残った」。
曲は多少コンパクト化しつつあるものの
相変わらずの“Thick Sound(分厚い音)”で、一本スジが通っている。
さすが“自称作曲家集団”だけあって自分たちの音楽に自覚的。
やりたいことは曲げない意志を感じます
(その後“自覚的に”変わっていくのですが…)。
あるいは、キング・クリムゾンを解散させたロバート・フリップ。
翌79年のソロ・アルバムにおいて、人脈を駆使し
パンクやニュー・ウエーブ、ダンス・ミュージックをも糧として
新たな地平を模索。したたかな戦略家である彼は、
このときすでに来るべき80年代における“仕掛け”を考えていたんですねー。
                 
対して“生粋のプレイヤー集団”であるイエスの面々は
この“パンク・ディスコ問題”に
無謀にも真正面からぶつかっっていくわけです。 
若いモンがやってることを俺たちもやってみようぜ…って、
なんというポジティブ・シンキング!
伊達に“イエス”なんて名乗っちゃいません。
あのジャケ裏の“全員革ジャン&グラサン”メンバー写真
(まったく似合っていない!)は、その決意表明だったのです。
                
結果は…残念ながら聴いてのとおり(笑)。
                
今ならシーシェパードが泣いて喜ぶ?
おセンチ(死語)な歌詞の「クジラに愛を」。
ロックンロール・ギターを弾こうと一所懸命がんばるハウに
涙を禁じ得ない「自由の解放」。
「未知との遭遇」に便乗しちゃった「UFOの到来」。
子供の声がこそばゆい「天国のサーカス」。
イエス流ファンク・ナンバー(のつもりだったと思うん)だけど
そうとは思えないほどまったく“跳ねてない”「自由の翼」。
そもそもすべて邦題ダサすぎ!(これはメンバーのせいじゃないけど)
              
いろいろやろうとしているんだけど
ラフには作れない、グルーブも生まれない、
抑えても抑えきれない音数、独特のリズム感。
イエスって、みんな楽器弾くのが好きで
一見すごく器用なのかと思いきや、じつは
根本の部分でメチャメチャ不器用なバンドなんですね。
むしろやればやるほど不思議でキッチュなテイストを醸し出す。
だけどこれもイエスがイエスだったからこそ創り得た音楽。
じつは悲しいくらい彼ららしい音楽なのです。
                
「トーマト」は、イエスという真面目でお人好しのバンドが
当時の流行に挑み、そして玉砕した記録であります。
まさにジャケットの潰れたトマトのように。
              
ツッコミどころ満載のそんな不器用さと
それを自覚せず突き進む愚直さに
同じように不器用なわたしは、愛を感じてしまうわけですね。
          
            
そしてその後… 一部血を入れ替え、
ついに“奇跡の大傑作”を創りあげてしまうのですが
それはまた別の話…
      
      
      
      

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