FACEBOOKなるものを始めてみました。
よくわからないまま始めて数週間が経ちますが、
いまだ五里霧中。
しかもどうにも居心地が悪い。
こんな感じがしているのはわたしだけ?
このナンともいえない違和感の正体は……
FACEBOOKには『いいね!』というボタンがあって
人の書き込みに対してコメントを入れることができます。
でも『よくないよ!』というボタンはありません。
『違うだろ!』とか『アホか?』とか。
コメント蘭で否定的な意見を展開することもできますが、
(わたしの見かける範囲では)そんなことをする人は皆無。
実名だから?
でも、相手は『友達』のはず(笑)です。
たまにはそういう意見の交換だってあってもいい。
『リアル』世界なら、友人と飲みに行って
あーだこーだ言い合いになるなんて普通にあることなのに。
FACEBOOKでは『肯定』しか許さない空気が支配しています。
例えば、“仕事でだけの知り合いと、『世間話』を交わす”時のような。
あの落ち着かない感じ。
もちろん、かくいうわたしだって、
自分の意見が真っ向否定っされたら
平静ではいられないでしょう。
きっと『リアル』の何倍もショックに違いありません。
ネットでの否定はすなわち衆人環視の中の否定ですからね。
むしろFACEBOOKの空気感というのは
そういうネットの性格を踏まえた上で働く
緩衝壁なのかもしれません。
それが荒れないための『大人』の態度ということでしょう。
荒れまくる掲示板と肯定だけのうわべのコミュニティ。
もしかしたら、わたしの抱く違和感は
そのような両極端の存在しか許さない
ネットという世界そのものに対する違和感なのかもしれません。
しかし、だからといって──
高校からの気の置けない友人の近況にまで
言葉を選んでコメントするにいたっては、
オレはいったい何をしているのか???と。
……ただこの違和感、
始める前から漠然とは予想していたこと。
世間的には「いろんな可能性を持っている」と
喧伝されているFACEBOOK。
まあ、どっかの代理店の仕掛けだとしても、
“何か”があるからこんなにも広まっているのだろうし。
今のところはまだ、『世間話』にいいねいいねと
うなずくだけにしか思えないこのメディアに、
いったいどれだけの事ができるのか。
それを知りたい。
友人たちと不思議で不自然な距離感を強いられてまで
やる価値があるものなのかどうかを。
というわけで、なんだかんだ言いながらも
もう少し続けてみたいと思います。
今は何も見えないFACEBOOKですが、
何かが見えてくることを期待して。
それにしても…… あらためて思い知らされる
『世間話』すらろくにできない
己の貧弱なコミュニケーション能力……(泣)
居心地の悪さの根本原因はこれかな〜。
そもそもFACEBOOKに向いてないだろ!
ってオチになりそうな……
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