2012-07-23

CuckooClock Angels


     
     
「CLOCKWORK ANGELS」について感じたことを
もう少し書いておこう。
     
一つのストーリーに基づく
コンセプト・アルバムということは前回述べたとおり。
そのストーリーは、SF作家ケビン・J・アンダーソンの協力を得て
小説として発表されるという。
ニール・パートの物語は
まだまだ語り尽くされていなかったようだ。
     
ケビン・J・アンダーソンは、
スター・ウォーズやXファイルのノヴェライズで有名な人です。
たしか以前「無限アセンブラ」(ダグ・ビースンとの共著)
を読んでるはずなんだけど、
内容に関してまったく憶えていないのはどうしたわけか(汗)。
たぶん、こちらの記憶力の問題でしょう……
     
まあ、それはともかく。
     
わたしはどうしても、プログレ史に名を刻む
ある名作との類似性を感じずにはいられない。
GENESISの「THE LAMB LIES DOWN ON BROADWAY」だ。
     
「THE LAMB 〜」の
ゲートフォールドの中面を埋め尽くした言葉の海は、
ピーター・ガブリエルからほとばしる物語の発露だった。
さらに、結局は頓挫してしまうものの
ウイリアム・フリードキンとのコラボレーションで
音楽以外のメディアでの作品化を目論んだ。
時に音楽の枠にはみ出すほどの創造性が
他ジャンルのクリエイターを刺激するのかもしれない。
どちらもきっかけはフリードキン、
あるいはアンダーソン側からの接触だ。
     
そういえば「THE LAMB LIES DOWN ON BROADWAY」も
“一人の青年が不可思議な世界を旅する”物語だった。
主人公の名ラエルは、リアルのアナグラム。
インナー・スペースの奥深くに分け入り、
真の自分を発見する道程を描く。
当時のステージでは、ガブリエルがラエルを演じ、
2枚組のアルバム全曲を通して演奏、
つまりストーリーを完全に再現した。
あたかもラエルが憑依したかのように。
間違いなく、ガブリエルはラエルに自身を投影していただろう。
ラエルの旅もまた、物語を生み出した本人の旅だった。
     
その結果、
本当に真の自分を発見してしまったのかどうかはわからないが、
彼はこのアルバムを最後にGENESISから去る。
作品の出来栄えもさることながら、そういう意味からも
GENESISにとって重大な“区切り”のアルバムとなってしまったのだ。
     
まあRUSHに限ってそんな物騒なことはないでしょうが、
あくまで作品世界において、
今後どういう展開を見せてくれるのかは本当に楽しみ。
     
もちろん、それまではこのアルバムを十分味わい尽くそう。
     
そして小説版「CLOCKWORK ANGELS」の発売も近い。
こちらは頓挫することなく発売されそうだ。
     
だが、はたして翻訳されるのかどうか?
私にとってはそれが問題なんだよね。
     
     
     
     

2012-07-19

Goodbye, Delusion


       
       
大切な人を亡くしたとき、 
その喪失感を埋めるものはなんだろう。 
        
ある人にとって、それは信仰かもしれない。 
        
四年前に父親を亡くして以来、 
それまでさほど信心深いと感じたことはなかった母が 
今も毎日仏壇に話しかけ、 
毎月の月命日と、それ以外でも気が向いたときに 
自分流ではあるが経を唱えている。 
       
そうじゃない人間も、もちろんいる。
かくいうわたしは四年前のちょうどその時期、
リチャード・ドーキンスの
「神は妄想である」という本を読みふけっていた。 
        
時系列的には、 
本屋で見かけて買う→読み始める→父入院→他界 
なので、たまたまその時に読んでいた本、というに過ぎない。 
        
だがこのときのわたしの心情にたぶんフィットしていたのだと思う。 
新潟との往復の新幹線の中、 
あるいは病院に泊まり込んでの看病の時など、 
ずっとこの本を読み続けた。 
        
内容は、タイトルから想像できるそのままです
(「宗教との決別」という副題が付けられている)。 
人間に必要なのは科学的・合理的な思考なのであって 
信仰、それも特に宗教に対するそれは、有害なものでしかない。 
そのことを一つ一つ事例を挙げて、執拗かつ徹底的に論じた本。
百害あって一理たりともない、とまで言い切った。 
当時はそれなりにセンセーションを起こしたと記憶している。 
        
初詣は神社に行くし、お彼岸には墓に手を合わせ、 
愛を誓ったのは牧師の前。 
        
典型的な日本人の行動様式を取りながらも 
むしろだからこそ、ある特定の宗教に踏み込まないよう 
注意して生きてもきた。 
そんなわたしにはもともと興味のあるテーマでした。 
        
「あの世」を信じれば、「人の死」も比較的
折り合いをつけ易いのかもしれない。 
だが「あの世」を信じていなければ? 
無神論者に「死」を受け入れることは可能なのか? 
        
ドーキンスはそんな疑問に答える。 
科学的思考によって十分「死」を克服することはできると。 
        
なかなか面白く読めたし、父親の死に対しても
ある程度拠り所になった部分もあったかもしれません。 
        
ただ共感するところは多かったにせよ、 
どこか冷めている自分がいたのも事実。 
        
この本が語るとおり、宗教を盲目的に信じることが悪ならば 
同様にこの本自体、 
無条件で受け入れるわけにはいかないじゃないか? 
        
たしかに、宗教にしろ科学にしろ、
心から信じることができたなら それは強い
(ドーキンス、はたまた原理主義者……善し悪しは別問題として)。 
彼らは「死」も克服できるだろう。 
        
盲目的がいけないというなら、自分の頭で考えろということか。
それにしたって人はいろいろなことに影響を受ける。
いったい何を信じればいいのか?
そもそも何かを信じるとはどういうことなのだ? 
信じる意味とは……? 
        
       
       
今年、RUSHが五年ぶりに新譜を発表した。
タイトルは「CLOCKWORK ANGELS」。 
        
RUSHの楽曲すべての歌詞 
ひいてはコンセプト・ワークを一手に担う
ドラマーのニール・パート。
彼もまた、ずっとこの問いの答えを
探し続けているようにわたしには思えます。 
        
90年代終わり頃。 
彼はわたしなどとは比べものにならない 
過酷な運命と直面する。 
一人娘と夫人を事故と病気で相次いで亡くしたのだ。 
        
はたして、復帰までには時間を要した。 
        
しかしRUSHは復活する。もちろんメンバーは不動。 
2002年に「VAPOR TRAILS」、
 続いて2007年には「SNAKE & ARROWS」を発表。 
合間にはツアーもこなし、 
自分たちのペースは守りつつも現在まで精力的に活動している。 
        
ただしニール・パートの紡ぐ詩が、先の不幸な出来事以来
その影響を色濃く反映したものとなるのは必然だった
(RUSHの楽しみは、他のミュージシャン以上に
詩を味わうことによってもたらされる。
わたしの場合は相変わらず日本版の翻訳だよりですが)。
        
復帰第一作「VAPOR TRAILS」。
全体に漂うのはある種の諦観の境地だ。
人の命も感情も、大空に束の間描かれるだけの
「飛行機雲(VAPOR TRAIL)」にすぎない。
だが運命に抗い、ささやかな抵抗を試みる姿を描く詩もある。
己の無力にさいなまれつつも、それでも何かを信じたいと葛藤する
パートの心情がうかがえるようだ。
        
ではその信じられるものとはいったい何なのか。
それが次作「SNAKE & ARROWS」におけるテーマとなる。
詩はついに個人的な感情を離れ、世界のありようを問う。
その中ではっきりと宣言されるのが、信仰との決別だ。
        
人が平等というなら、恵まれたもの呪われたものがいるのは
いったいどういう不手際なのだ、とアイロニカルに詠い、
また、身を守る鎧のつもりで身につけた信仰は、
人を攻撃する矢にもなりうるのだと説く。
信心深い純真な軍隊、どんな科学の力にも抗う伝染病、
そういう強い言葉で、今のこの世界は
まるで暗黒時代に戻ってしまったかのようだと嘆く。
        
じつは、パートもまた、
ドーキンスの「神は妄想である」を読んでいた。
彼自身によるライナー・ノートには、
信仰が知らず知らずのうち(特に幼少期)に
多くの人に刷り込まれてしまう危険性について、
この本と意を同じくしたと記されている。
        
さまざまなことを探り、問いかけ、行動したなかの
一つの出会いだったのだろう。
逆に宗教にのめりこんでも不思議はない状況で
どうしてそこまでの心境に至ったのか。
特にキリスト教圏で生まれ育った人には、
日本人である私たちより
はるかに難しいことであることは想像に難くない。
彼の思想の旅路は本人以外には計り知れない。
だがまぎれもなく、この作品は重要な中継地となった。
        
そして今回発表された最新アルバム、
「CLOCKWORK ANGELS」。
一つのストーリーに基づく
コンセプト・アルバムとして作られている。
        
毎回その時々の関心事をテーマとして
アルバムを創る彼らではあるが
ここまで明快なコンセプト・アルバムは70年代以来だろうか。
        
ストーリーは、ニール・パートオリジナルとなる
スチーム・パンクという趣向。
舞台は、ウォッチメイカーと呼ばれる存在に支配された世界。
空には時計仕掛けの天使が舞い、
タイムキーパーの大聖堂がそびえ建つ。
人々は教えられたとおりのことを信じ、与えられたものを
そのまま受け入れて暮らしている。
決まり切った毎日に嫌気がさした青年である“わたし”は
そんな世界に疑問を感じ旅に出る。
その冒険物語が曲となって綴られているのだ。
        
ジュブナイルとも言える内容で、さほど凝った設定ではない。
しかしだからこそ見えるものがある。
「VAPOR TRAILS」、「SNAKE & ARROWS」と聴いてきた者なら
この物語の意図するところは明らかだろう。
      
主人公はニール・パート自身。
冒険は、自身を襲った悲しい出来事以来
答えを探し求めてきた彼の旅そのもの。
そして旅には必ず辿り着くべき終着点がある。
      
今回、ついに旅の終焉が訪れた。
       
アルバムは「The Pedlar」という幕間曲
(ほとんど曲の体裁にはなっていないが……)によって
三部に分かれている。
第一部は世界感と動機の提示、第二部は冒険の旅。
ストーリーはここで一応の決着を迎えるが、
当然第三部こそ真にフィナーレと呼ぶべき内容となっている。
感動的なメロディー・ラインに乗せて
彼のメッセージがストレートな形で歌い上げられているのだ。
       
第三部の一曲目「BU2B2」で、
もう信仰には失望した。
楽観論にも見捨てられた。
慰めになる哲学はない。
それでも、わたしは生きていこう、
という痛々しくも断固とした決意が詠われる。
       
自分と相容れない人たちに向けては
次の「Wish Them Well」を叩きつける。
せいぜい彼らに幸あれ。
そして背を向け別れを告げろ、
同じ舞台に引き込まれるな、と。
これは世界に対する強烈なメッセージだ。
       
最後の曲「The Garden」は、
人生の宝物についての詩。
油断すれば、ウォッチメイカーは着実に
人生をかすめ取っていく。
それでも人は自らの庭で宝を育てなければいけない。
その宝とは、いくばくかの愛と尊敬の念……。
       
テーマは「SNAKE & ARROWS」と共通しているが
さらに踏み込んだ次元に達したようにわたしには思える。
パートは、信仰こそ信じないが
人がささやかな信念を持つことを信じているのだ。
もちろんこのことは、わたしが指摘したように
どうしたってパラドキシカルな響きが忍び込む。
それは彼も十分自覚を持っており、
“皮肉を身に沁みて感じる”という言及もある。
だが、それでもなお、彼は確信を持って詩にした。
      
悲劇から15年。巡り巡る長い旅路。
その旅を物語として表現した。
抽象的な存在だったものに、しっかりとした形を与えた。
ようやく一つの終着点にたどり着いた。

自分の頭で、全身全霊で思考し続けた結果なのだろう。
おそらく、信じることの意味を見つけたのだ。
       
また、言うまでもなく彼の詩は
リー、ライフソンの曲作りにも大きな影響を及ぼす。
ストーリー仕立てという構成が、メリハリのある楽曲を生んだ。
バラードはより切なく、ハードな曲はより力強く。
冒険物語という体裁のためだろうか、メロディも陰にこもる感じがない。
親しみやすさすら憶える印象的な旋律が胸に迫る。
どちらかというとヘヴィーなリフ中心の曲が多かった近作からの、
歓迎すべき変化だ。
       
そして、RUSHにおいては珍しい、ストリングスやピアノの導入。
第二幕のクライマックス、続くフィナーレとなる第三幕で、
とても劇的な効果を上げている。
音楽的な面でも、正にコンセプト・アルバムにふさわしい
感動的なエンディングを迎えるのだ。
       
今後彼らにどういう展開が待っているのかはわからない。
もしかしたらまた新たな旅に出るのかもしれない
(今の時点では彼ら自身にすら未知だろう)。
だがこのアルバムを、前二作と合わせて
三部作の最後を飾る作品と見なすことは可能だと思う。
なんにせよ一つの区切りとなることは間違いないところだ。
いや、“区切り”という言葉は恐ろしく控えめに過ぎる。
RUSHの長い長いキャリアの中でも、
「2112」や「MOVING PICTURES」に匹敵する
マイルストーンとなり得る傑作だと断言しよう。












わたしには、いまだ信じることの意味はわからない。
       
しかしまったく萎むことのない彼らの創造性は、
わたしにとって数少ない、信じるに足ることのひとつなのだ。
      
      
      
      

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