2011-06-24

I Hope, Once Again!

      
      
結局のところ、
FACEBOOKではプログレの話ができないことが判明。
      
いや、別に誰からも相手にされない状況を恐れなければ
何書いたっていいんですがね。
      
でもFACEBOOKやるからには人から『いいね!』と言われたい……
      
小さい。小さすぎるよ、自分。
      
というわけで小市民はブログで鬱憤を晴らすのであった。
      
相手を気にせず書きっぱなしにできる、ってのは
わたしの精神衛生上必要なことなのだと再認識した次第。
      
     
      
さて、プログレ、といえば。
      
今年もやってきました。
日本の夏。プログレの夏。
      
「PROGRESSIVE ROCK FES 2011」が開催されます。
      
今年のラインナップは、KANSAS、Wishbone Ash、PFM。
      
Wishbone Ashは置いとくとして(笑)。
巷のプログレファンはこのラインナップ、どう思っているんでしょう。
PFMでなんとか持ち直した!という感じなんでしょうか。やっぱり。
      
どうもコアなプログレファンからは
一段も二段も低く見られがちのKANSAS。
山田五郎さんも露骨に嫌ってましたしね。
      
その上、現在のメンバーに
ロビー・スタインハートとケリー・リヴグレンの
名前はありません。
      
それでも、わたし的にはめちゃくちゃ思い入れのあるバンド。
KANSASこそメイン!
全盛期メンバーだったらな〜という方も多いでしょうが、
わたしは現在のメンバーにも満足!
こういう人間は少数派なんでしょうね。きっと。
      
もちろん、KANSASをKANSASたらしめてきたリヴグレンの作曲能力や
スタインハートの力強いヴォーカルが失われたのは
本当に大きな痛手です。致命傷と言ってもいい。
KANSASは終わった、と思う人がいるのもわかります。
      
しかしそれでもなお、今のラインナップに少なからず期待してしまうのは、
スタインハートの後釜にデヴィッド・ラグスデールがいるから。
前任者のバイオリンがフィドルっぽい響だったのに対して
ラグスデールのそれは、よりクラシカルで歌うような印象があります。
      
そしてなにより、彼はコンポーザーでもある。
      
自身のプロジェクトやKANSASへのゲスト出演など、マイペースでの
音楽活動は続けているとはいえ(そういえばProto-Kawはどうなった?)、
ほとんど半隠居状態のリヴグレン。
彼がそんな状況である以上、
KANSASが“現役バンド”であるためには
ウォルシュに曲作りのパートナーが必要なのです。
      
1995年、現在のメンバー+グレッグ・ロバート(キーボード)という
メンツで制作された「フリークス・オブ・ネイチャー」。
      
リヴグレンが1曲だけ楽曲提供している以外は
ウォルシュとラグスデールで作られた曲の並ぶこのアルバム、
当然、KANSASらしくない、プログレ風味が足りない、などなど
いろんな批判もあることでしょう。
      
しかし当時すでに懐古的なだけの再結成も
めずらしくなかったプログレ界において、
「KANSASはまだ新しい挑戦を続けているんだ……!」
とうれしい気持ちになったのはわたしだけでしょうか?
      
      
↓ 縦横無尽に駆けめぐるバイオリン、KANSAS史上最高にソリッドなギター。
 全盛期ような構築美はないもののパワーとドライブ感にあふれる好盤。
 「Hope Once Again」はパワー・バラードの名曲!













                         
2000年にはオリジナル・メンバー電撃復帰、
ファン驚喜のアルバム・リリース、なんてこともありましたが、
いわゆる企画モノだったのか長続きせず(このあたりの経緯は
詳しく知りませんが、思えば“全曲”リヴグレンの楽曲、
ボーカルのみでしか参加していないウォルシュ、など
不自然なフォーマットのアルバムでした)。
結局リヴグレン・ホープ・スタインハート離脱、
ラグスデール復帰で現在に至ります。
      
回り道はもういい。
ライブ・アルバムも十分聴いた。
やはりわたしの願いは、
新譜を出し続ける現役バンドでいて欲しいということ。
ココ、こだわります。
      
来日ライブ。
むろん楽しみですが
もういいかげん新作を出して欲しい。
いや、きっと出してくれるはず!
「フリークス・オブ・ネイチャー」を超える傑作を。
      
信じてます。
現在のメンバーは、そのために残った5人なのだと。
      
      
      
      

2011-06-23

Blind “Face”

      
      
FACEBOOKなるものを始めてみました。
      
よくわからないまま始めて数週間が経ちますが、
いまだ五里霧中。
      
しかもどうにも居心地が悪い。
こんな感じがしているのはわたしだけ?
このナンともいえない違和感の正体は……
      
      
      
FACEBOOKには『いいね!』というボタンがあって
人の書き込みに対してコメントを入れることができます。
      
でも『よくないよ!』というボタンはありません。
『違うだろ!』とか『アホか?』とか。
      
コメント蘭で否定的な意見を展開することもできますが、
(わたしの見かける範囲では)そんなことをする人は皆無。
      
実名だから?
でも、相手は『友達』のはず(笑)です。
たまにはそういう意見の交換だってあってもいい。
『リアル』世界なら、友人と飲みに行って
あーだこーだ言い合いになるなんて普通にあることなのに。
      
FACEBOOKでは『肯定』しか許さない空気が支配しています。
例えば、“仕事でだけの知り合いと、『世間話』を交わす”時のような。
あの落ち着かない感じ。
      
もちろん、かくいうわたしだって、
自分の意見が真っ向否定っされたら
平静ではいられないでしょう。
きっと『リアル』の何倍もショックに違いありません。
ネットでの否定はすなわち衆人環視の中の否定ですからね。
むしろFACEBOOKの空気感というのは
そういうネットの性格を踏まえた上で働く
緩衝壁なのかもしれません。
      
それが荒れないための『大人』の態度ということでしょう。
荒れまくる掲示板と肯定だけのうわべのコミュニティ。
もしかしたら、わたしの抱く違和感は
そのような両極端の存在しか許さない
ネットという世界そのものに対する違和感なのかもしれません。
      
しかし、だからといって──
      
高校からの気の置けない友人の近況にまで
言葉を選んでコメントするにいたっては、
オレはいったい何をしているのか???と。
      
      
      
……ただこの違和感、
始める前から漠然とは予想していたこと。
      
世間的には「いろんな可能性を持っている」と
喧伝されているFACEBOOK。
まあ、どっかの代理店の仕掛けだとしても、
“何か”があるからこんなにも広まっているのだろうし。
      
今のところはまだ、『世間話』にいいねいいねと
うなずくだけにしか思えないこのメディアに、
いったいどれだけの事ができるのか。
それを知りたい。
      
友人たちと不思議で不自然な距離感を強いられてまで
やる価値があるものなのかどうかを。
      
というわけで、なんだかんだ言いながらも
もう少し続けてみたいと思います。
      
今は何も見えないFACEBOOKですが、
何かが見えてくることを期待して。
      
      
      
それにしても…… あらためて思い知らされる
『世間話』すらろくにできない
己の貧弱なコミュニケーション能力……(泣)
居心地の悪さの根本原因はこれかな〜。
      
そもそもFACEBOOKに向いてないだろ!
ってオチになりそうな……
      
      
      
      

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