2011-03-10

HatしてGood

      
       
秋葉原の石丸電気SOFT館が、3月27日をもって閉店するそうです。
秋葉原にはあまり行くことはありませんでしたが、
10代の頃は新潟店にずいぶん世話になったものでした。
当時の新潟ではLPの品揃えが一番だったなあ。
その新潟店ももうなくなって3年になろうとしています。
渋谷からHMVが消えたのもまだ記憶に新しいというのに
なんだか本気でCDとか売れてないようで、ちょっと心配になる今日この頃。
“音楽はダウンロード”って、もう常識なんでしょうな。
わたしなんかが考えてる以上に。
      
でもやっぱり、“パッケージも含めて音楽”と思ってるオヤジとしては
CDやLPが世の中からなくなっちゃ困るんです。
ジャケット・アートがなきゃつまらん!
以前も書いたように、それももちろん理由の一つ。
しかし核心はもっとずっと深いところにあるような気がしてなりません。
“パッケージの存在意義”を問うこと、それは
そもそも“音楽を聴く”とはどういうことなのか?
と問うことにも等しい問題だと思うのです(いや、マジで)。
      
──その昔、音楽を聴くことは“儀式”でした。
LPをていねいにジャケットから取り出し、
きれいに埃を拭い、そっとターンテーブルに載せ、
位置を狙いすまして針を置く。
仮に人にやらせて無造作に盤面を触られたりした日にゃそれはもう一大事。
LPを扱う手続きは各人各様、他人には絶対的に不可侵の領域でした。
しかもそうしていくら気をつけても
1回音楽を聴くごとにわずかではありますが
しかし確実に、盤も針も寿命が削られていく……
音楽を聴く行為は、犠牲と引き替えに手に入れる快楽であり、
きわめて個人的な聖域であり、集中力の発露でありました。
      
時代は流れ、わたしももっぱらCDしか聴かなくなりましたが
休日の午後(少々音量大きめでも大目に見てもらえる
──と勝手に思いこんでいる──時間帯)を待ち、
オーディオと向き合い、CDを“掛ける”という行為は
まだ多少の儀式性を残しています。
      
音楽をすべてデータで扱う?
いつでもどこでも気軽に聴くことはできるでしょう。
儀式だの無常観だのそんなしちめんどくさい行動や屁理屈は必要ない。
“好きなLPほど掛けたくない(すり減るから)”なんていう
貧乏人を悩ました二律背反ともオサラバです。
ストレス・ゼロ。
      
便利な世の中になりましたねー。めでたしめでたし。
……って、本当に?
はたして音楽に、より思い入れることができるのはどっちなんでしょう?
      
もちろん、音楽の実態は
影も形もない“信号(データ)”以外の何者でもありません。
データでやりとりしデータを再生する。ムダはないですね。
しかし単に頭の中をデータが通過するだけで
人の心は動かされるでしょうか。
ライブが感動的なのは、聴覚のみならず
“会場に足を運ぶ”“目撃する”“同じ空気を共有する”といった
五感すべてを総動員させる強烈な“体験”だからこそ。
人は何らかの“体験”を通してはじめて、
感情を突き動かされるものだと思うのです。
      
LPやCDを掛けるといった、少々めんどうな行動も、
音楽を聴くことに伴う重要な“体験”。
つまり、音の連なりでしかない“データ”を
肉体を伴う“体験”に導くための“装置”として
パッケージ(LPなりCDなり)という物理的存在が
必要不可欠なのではないでしょうか。
その“体験”こそが、まさに“儀式”の正体。
LPやCDは、“霊体(データ)”の宿る“依り代/ご神体”というわけです。
      
……かくして、わが家でどんどん増殖していくご神体……
      
さて、今回まためでたく仲間入りしたのは
ハットフィールド・アンド・ザ・ノースの3作品。
わたしにとってのベスト・オブ・ベスト。フェイバリット中のフェイバリット。
毎年新年最初にオーディオで鑑賞するアルバムは
彼らの2nd.アルバム、「ザ・ロッターズ・クラブ」と決めているくらいです
(これが儀式でなくてなんでしょう?)。
それが今年の1月にリマスター&SHM&紙ジャケ化されて
EMIミュージックジャパンから発売されました。
もう何度目のCD化?
わが家でも、特に2nd.に関しては4枚目のCDになりますか。
・1989年Virgin Japan盤、
・2004年東芝EMI盤(紙ジャケ化・リマスターはされてない)、
・2009年Esoteric Recordings盤(2009年リマスター)、
そして今回。
      
正直言って、音質的にはEsoteric盤で満足していたし
紙ジャケ化も特殊な(例えばカーヴド・エアの2nd.みたいな)もの以外には
それほど価値を見い出せないわたしにとって
今回のCDは本当に買う必要があったのだろうか?
      
いやいや、なんと今回のCD化にはサプライズがありました。
解散後に1st.と2nd.の収録曲+アルバム未収録曲やライブ音源で発表された
「アフターズ」の初CD化!
ちなみにこのブログのタイトル横、レコードジャケットの画像に書かれた
「Let’s Eat -Real Soon-」は、このアルバム1曲目のタイトル。
ハッツは2枚のアルバムしか残していないと思い込んでいた若かりしころ、
輸入LP屋でこのアルバムを発見、狂喜乱舞したことを思い出します
(これも音楽が“カタチ”を持っていたからこその感動ですね)。
今となっては収録曲すべて、1st.2nd.のボーナス・トラックなどで聴けるものの
とても思い入れのあるアルバム。
これは買わないわけにいきません。
      
んじゃあ「アフターズ」だけ買えばいいじゃん、
なーんていう理性はハッツの前で無力!
何故わたしはハッツを買うのか?
そこにハッツがあるからさ。
      
……わかってます、わかってます!
冷静に考えれば今回の買い物は微妙だってことくらい……
わたしの聴く限り、リマスターのできばえは
Esoteric盤に軍配を上げざるを得ないし
(Esoteric盤のほうが各音ふくよかな響きが感じられます。
今回のは解像度を求めすぎて音が平板になっちゃった感じかな?
特に高音がちょっとキツく聴こえます)。
まあそれは結果論としても、
目玉の「アフターズ」の帯に極小の文字で書かれたこの一文。
「このCDはオリジナル・レコードからの盤起こし音源となります」。
      
って、おい。こんなサプライズいらないし。
      
もちろんこの手のリマスター&紙ジャケ商法、
わたしみたいな気のいいオヤジの財布目当てなんてのは百も承知。
でも今どきオヤジの財布だって若者同様キビシイのだよ。
こういうことやってると
ホントに誰からもCD買ってもらえなくなるぞ。レコード会社の人。
        
なんて、まんまと買っちゃうオヤジが言っても説得力ないけど。
      
これからもなんだかんだ文句言いながら
お布施、納めていくんだろーな。きっと。
      













                         
↑ 今回発売された3作品。
 ついでだからもう一つ苦言。
 「アフターズ」が発売されるなら
 1st.2nd.のボーナス・トラックは必要なかったはず。
 ボーナス・トラックって、貴重な音源は売りになるけど、
 そうじゃないときはオリジナル・アルバムの美しさを損ねる
 夾雑物でしかないからね。
 1st.や2nd.買う人が必ずしも「アフターズ」も買うとは限らない?
 その「アフターズ」は盤起こしときてるし……
 う〜ん。親切なんだかなんなんだか。
 結局マズイ仕事の尻ぬぐいをさせられてるような……
              
      
      
      

2011-03-09

No Run, No Kegani!

      
      
パートナーが、先月行われた東京マラソンに出場しました。
ここ半年ほどは仕事があまりにも忙しく、
ほとんど練習に充てる時間が取れなかったようですが
そんな時に限って冷やかし半分の応募に当選してしまうという
人生の皮肉もなんのその、完走を果たしました。
いやはや、身近でそのみごとな一夜漬けっぷりを見ていただけに
ちょっぴりあきれつつ、でも素直に感動しましたよ。よくやった!
      
応援してくれた方々、わたしからもお礼申し上げます。
ありがとうございました。
      
そして一週間後、
彼女の実家から送られてきた完走祝い(?)の品が食卓に。

















                              
……なぜ毛ガニなのかはこの際問題ではありますまい。
もう一度言いましょう。よくやった!
      
持つべきものは、北国出身の嫁ですなー。
      
      
      
      

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